トップ猫の文化猫の浮世絵美術館歌川国芳展絵兄弟やさすかた・鵺退治

絵兄弟やさすかた・鵺退治

 江戸時代に活躍した浮世絵師・歌川国芳の残した猫の登場する作品のうち、絵兄弟やさすかた・鵺退治について写真付きで解説します。

作品の基本情報

  • 作品名絵兄弟やさすかた・鵺退治
  • 制作年代1845年頃(江戸・弘化2)
  • 落款一勇斎国芳画
  • 板元海老屋林之助
絵兄弟やさすかた・鵺退治のサムネイル写真

作品解説

 「絵兄弟やさすかた・鵺退治」(えきょうだいやさすかた・ぬえたいじ)は源頼政(みなもとよりまさ)の鵺退治をモチーフとした大判錦絵です。「絵兄弟」とは一枚の絵の中に本家とパロディとを共存させ、両者を対比して楽しむ趣向のことで、「やさすかた」とは漢字で書くと「優姿」となり、しとやかで優美な様子を表します。
 さて、この作品における絵兄弟の本家は左上のフレーム内に描かれている「源頼政の鵺退治」となります。この物語を簡単に解説すると以下。 出典(Wikipedia)→源頼政
源頼政の鵺退治
 その昔、帝が病に倒れた折、源氏の棟梁だった源義家(みなもとのよしいえ)が病魔退散を仰せつかり、帝の容態回復に寄与した。
 時を経て、帝が再び体調を崩された際、先の例から武士を警護につけるがよかろうということになり、同じ源氏の一門で武勇の誉れ高かった頼政(よりまさ)が適任者として選ばれる。
 深夜、頼政が御所の庭を警護していたところ、艮(うしとら)の方角(=北東)よりもくもくと黒雲が湧き上がり、その中から頭が猿、胴が狸(たぬき)、手足が虎、尾が蛇という「鵺」(ぬえ)と呼ばれる怪物が現れた。頼政は弓で鵺を射落とし、駆けつけた家来・猪早太(いのはやた)が太刀(たち)で止めを刺す。その後、頼政は仕留めた鵺の体をバラバラに切り刻み、それぞれ笹の小船に乗せて海に流したという。
源頼政と鵺、およびパロディ部分図
源頼政と鵺、およびパロディ部分図  この鵺退治のお話を踏まえて本家の絵を見てみると、場面は頼政が松明を掲げ、射落とした鵺の姿を確認しようとしているところだと分かります。しかし、家来である猪早太(いのはやた)や、肝心な鵺の姿が見当たりませんね。
 一方、パロディ部門は錦絵下部の女性と猫が担当しています。かつお節を盗み食いしたトラ猫の首根っこを女性が捕まえ、「こら、いけない」とばかりに叩こうとしています。画中にある狂歌は 鰹節を ひきめの弓に頼政の 鵺ほとさわぐ 宿のとら猫 と読めます。「かつお節を盗んだはいいが、見つかってしまい、まるで射落とされた鵺のようにギャーギャー騒ぐ我が家の猫ちゃん」と言った所でしょうか。
 ここまでくると、国芳が本家の画中に猪早太と鵺を描かなかった理由が分かります。要するに、猪早太が着物の女性で、鵺がとら猫であると見立てているのです。もちろん、オリジナルストーリーのように猫をバラバラにすることはなく、「こらっ!」と叱っておしまいです。そういうところが「やさすかた」なのでしょう。本家の絵とパロディの絵とが、空間的につながっているように見せるのは、国芳ならではの工夫と言えます。