作品の基本情報
作品解説
「名誉右に無敵左リ甚五郎」(めいよみぎにむてきひだりじんごろう)は、江戸時代初期に活躍したとされる名工「左甚五郎」をモチーフとした作品です。左甚五郎(ひだりじんごろう)は江戸時代初期に活躍したとされる伝説的な彫刻職人で、日光東照宮の「眠り猫」をはじめ、甚五郎作といわれる彫り物は全国各地に100ヶ所近くあり、その製作年間は安土桃山時代~江戸時代後期まで300年にも及び、出身地もさまざまであるので、左甚五郎とは一人ではなく各地で腕をふるった工匠たちの代名詞だったのではないかと推察されています。
さて、当作品は中央で彫り物をする甚五郎と、彼を囲むように居並ぶ彫刻群という構図になっています。しかし、甚五郎が羽織っている地獄変相図のどてら、そしてかたわらで毛づくろいする猫という国芳のトレードマークから察して、実はこの人物が作者・国芳本人であることがわかります。
1842年(天保13年)、国芳46歳のときに老中・水野忠邦が「天保の改革」を行い、風俗取締りの一環として、役者絵・遊女・芸者の絵の出版を禁じる御触(おふれ)が出されました。こうした時代背景から考えると、一見、苦肉の策として彫刻の中に役者の顔を掘り込み、禁令を逃れようとしたとしたのだろうと思ってしまいます。しかしこの作品が作られた1847年ごろは、取締りの目がだいぶ緩み、「役者名を記さない」という条件付きではありましたが、役者絵は事実上解禁状態でした。にもかかわらずわざわざ役者の顔を彫り物の中に入れ込んだということは、「禁令逃れ」という意味合いよりも、国芳独自のユーモアが作品に反映されたと考えるほうが自然かもしれません。
さて、当作品は中央で彫り物をする甚五郎と、彼を囲むように居並ぶ彫刻群という構図になっています。しかし、甚五郎が羽織っている地獄変相図のどてら、そしてかたわらで毛づくろいする猫という国芳のトレードマークから察して、実はこの人物が作者・国芳本人であることがわかります。
1842年(天保13年)、国芳46歳のときに老中・水野忠邦が「天保の改革」を行い、風俗取締りの一環として、役者絵・遊女・芸者の絵の出版を禁じる御触(おふれ)が出されました。こうした時代背景から考えると、一見、苦肉の策として彫刻の中に役者の顔を掘り込み、禁令を逃れようとしたとしたのだろうと思ってしまいます。しかしこの作品が作られた1847年ごろは、取締りの目がだいぶ緩み、「役者名を記さない」という条件付きではありましたが、役者絵は事実上解禁状態でした。にもかかわらずわざわざ役者の顔を彫り物の中に入れ込んだということは、「禁令逃れ」という意味合いよりも、国芳独自のユーモアが作品に反映されたと考えるほうが自然かもしれません。
天保の改革(てんぽうのかいかく)
天保の改革は、江戸時代の天保年間(1830年 - 1843年)に行われた、幕政や諸藩の改革の総称。享保の改革、寛政の改革と並んで、江戸時代の三大改革の一つに数えられる。
贅沢を禁ずる「倹約令」を施行し、風俗取締りを行い、芝居小屋の江戸郊外(浅草)への移転、寄席の閉鎖など、庶民の娯楽に制限を加えたほか、歌舞伎役者の7代目市川團十郎、人情本作家・為永春水や柳亭種彦などが処罰された。
特に歌舞伎に対し、市川團十郎の江戸追放、役者の生活の統制(平人との交際の禁止、居住地の限定、湯治・参詣などの名目での旅行の禁止、外出時の網笠着用の強制)、興行地の限定(江戸・大坂・京都のみ)といった苛烈な弾圧が加えられた。