作品の基本情報
作品解説
「しん板猫のあきんどづくし」は、町の中にいる「あきんど」、すなわち行商人の姿を猫に置き換えて一枚に集合させたおもちゃ絵の一種です。作者は歌川芳藤(うたがわよしふじ)。江戸の庶民文化が垣間見られる面白い作品になっていますので、以下に解説をのせます。
しん板猫のあきんどづくし・その1
1, かりんとう売り
江戸の中期以降、小麦粉をこね棒状にして揚げたものを深川辺りで天秤棒に担いで売り歩いていたのが、庶民が口にしたのが始まりと言われています。当時のかりんとうはまだ色は付いておらず、現在のような黒色になったのは、明治8年(1875年)浅草仲見世の飯田屋の発案からだとか。
2, 鳥追い
聞きなれない「鳥追い」とは、江戸中期以降、女太夫たちが新年になると新しい着物に日和下駄・編み笠姿で三味線などを弾き、鳥追い歌を歌って家々を回ることです。いわゆる「門付け」(かどづけ=家の前で芸をして小銭を稼ぐこと)の一種。
3, 海ほおづき売り
海ほおづき(海ほおずき)とは口に含んで音を鳴らして遊ぶ使い捨ての玩具のことです。
4, しゃぼん玉売り
現代でもおなじみのシャボン玉ですが、実は江戸時代に発刊された百科辞典・「守貞謾稿」(もりさだまんこう)にも登場するほど古いものです。当時はムクロジの実から取れた種(石鹸として使われていた)、松ヤニ、砂糖などがシャボン液(サボン液)として使われていたようです。
5, 読売り 読売り(よみうり)とは江戸時代に瓦版(かわらばん=当時の新聞)の内容を、節を付けたり言回しを面白くして、大衆を惹き付け、瓦版の販売促進をしていた人物のことを指します。
しん板猫のあきんどづくし・その2
6, いなりずし屋
江戸時代に発刊された百科辞典・「守貞謾稿」(もりさだまんこう)には「名古屋等、従来これあり。江戸も天保前より店売りにはこれあるか。」と記されており、いなりずしが江戸の天保(1830年から1843年までの期間)より古い歴史を持っていることを示唆しています。
7, あめ屋
江戸時代の飴屋は、三味線をひいたり、かねをたたいたり、また唐人飴売りは唐人風の服装で、チャルメラのような笛を吹いて飴を売り歩いたといいます。
8, 手遊び屋
「手遊び屋」とは今で言うおもちゃ屋のようなものです。絵の中で猫が手にしているのは「からくり屏風」と呼ばれるちょっとしたマジックグッズ。
しん板猫のあきんどづくし・その3
9, かわらばん売り
かわらばんとは「瓦版」と書き、江戸時代の新聞のことを指します。天変地異や大火、心中など時事性の高いニュースを速報性を以って伝えるもので、今で言うと新聞の号外といった感じです。ただし、「妖怪出現」などタブロイド誌的なガセネタも当時からあったとか。
10, 豆売り
「煮豆屋」に対して「豆売り」とは、主として枝についたままの大豆を水茹でし、路上で売っていた行商人のことです。この状態のものを「枝付き豆」または「枝成り豆」と呼び、それが現在の「枝豆」の由来になったとか。
11, 水売り
水売り」は桶に水を入れて天秤棒で肩に担ぎ、どんぶりとひしゃくを持って水を売り歩いていた行商人です。鈴木春信、歌川豊国の浮世絵にも「水売り」というタイトルの作品があり、水売り商人の様子をうかがうことができます。
12, しんこ細工屋
しんこ細工とは「新粉細工」と書き、米の粉を蒸してお餅状にしたものに細工を加えることで、バースデーケーキにちょこんと乗っている小さな飴細工のようなものです。
しん板猫のあきんどづくし・その4
13, 煮豆屋
「豆売り」に対して「煮豆屋」は、味を付けて煮た豆を売り歩いていた行商人のことです。商人の担いでいる箱に書かれている「座ぜん豆」(座禅豆)とは小粒の黒豆や大豆を甘く煮しめたものを指します。
14, すし屋
江戸時代には「内店」(うちだな)とよばれる固定店をかまえるすし屋で、比較的高価なすしを扱っていた一方、屋台で廉価なすしを売る「屋台店」が市中にあふれていたようです。作中の猫は寿司の出前でしょうか。
15, さかな屋
当時の魚売りは天秤棒に魚を入れ、市中を練り歩いて売っていました。安藤広重の「日本橋」という版画にも当時の魚売りの姿が見て取れます。
16, 歯磨き売り
江戸時代の歯磨きは、歯ブラシとして「房楊枝」(ふさようじ)と呼ばれるヤナギやクロモジ等の木を細く削り、煮て柔らかくした先端を木槌で叩いてブラシ状にしたものが使われ、また歯磨き粉としては「房州砂」(ぼうしゅうずな)という、砂の上澄みを乾燥させた細かい砂に、丁子、じゃ香、ハッカ等の香料を混ぜたものが使われていました。