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猫伝染性腹膜炎(FIP)に対する新型コロナ薬モルヌピラビル(Molnupiravir)の効果

 新型コロナウイルスの抗ウイルス経口薬として登場した「モルヌピラビル」。同じくコロナウイルスに属し、致死性が高いことで知られる猫伝染性腹膜炎ウイルスに対する効果が検証されました。

モルヌピラビルとは?

 モルヌピラビル(Molnupiravir)はアメリカのDrug Innovation Ventures(DRIVE)社が創製し、Merck社とRidgeback Biotherapeutics社が共同で開発した経口の抗ウイルス薬。軽~中等症の新型コロナウイルス感染症(COVID-19)患者に使用できることから2021年12月には日本国内初の経口薬(商品名:ラゲブリオ)として特例承認され、2022年9月からは通常の医薬品と同様に卸販売業者を通じて供給されるようになりました。
 モルヌピラビルの抗ウイルス効果は投薬後、体内で加水分解されてN-ヒドロキシシチジン(NHC)となり、さらに活性型のNHC-TPにリン酸化されることで発現します。このNHC-TPが新型コロナウイルス(SARS-CoV-2)のRNAに取り込まれ、新しいRNAが増幅される際に塩基配列にエラーを引き起こすことで正常な増殖過程をブロックするという機序です出典資料:日経バイオテク)

モルヌピラビルのFIPへの効果

 モルヌピラビルが新型コロナウイルスに有効なのであれば、同じくコロナウイルスに属する猫伝染性腹膜炎ウイルスにも有効な可能性があります。この仮説を検証するため、オハイオ州立大学獣医学部のチームが猫の飼い主を対象としたシチズンサイエンス調査を行いました。

調査対象

 調査対象となったのは獣医師から猫伝染性腹膜炎(FIP)もしくはFIPの疑いが強いと診断を受けた猫。選抜条件は「初期治療としてモルヌピラビルを採用した猫」もしくは「FIP新薬候補(GS-441524)を用いた後、モルヌピラビルに切り替えた猫」とされました。GS薬の詳細については以下の記事をご参照ください。 猫伝染性腹膜炎(FIP)に対するGS-441524のウイルス増殖抑制効果  2022年6~8月の期間、FIP互助グループなどに呼びかけて回答者を募った所、最終的に30頭の猫の飼い主から投薬データを得られたといいます。内訳はモルヌピラビルを初期治療で採用した猫が4頭、再治療で採用した猫が26頭です。国はアメリカ25頭、ドイツ2頭、ポーランド2頭、スウェーデン1頭。診断時の平均年齢は9.7ヶ月齢(1ヶ月齢~6歳)でした。

初期モルヌピラビル組

 初期治療としてモルヌピラビルを採用した4頭に関し、投薬開始時の平均用量が11.75mg/kg(2回/日)、投薬終了時のそれが12.25mg/kg(2回/日)で、投薬期間は中央値で11.5週間でした。統計的に計算した所、期間に関しては初期治療グループと後述する再治療グループとの間に差は認められなかったそうです。
 薬効に関しては全頭が2週間以内に症状の改善を示し、中には初週で反応した猫もいたとのこと。報告を書いている時点で全頭が生存中で、再発や副作用の報告はありませんでした。

再治療モルヌピラビル組

 GS-441524ベースの初期治療を受けた26頭のうち、16頭は初期投薬終了後のタイミングでモルヌピラビルに切り替え、残りの10頭はGS薬を再投与した後のタイミングでモルヌピラビルに切り替えられました。
 これら26頭のデータをまとめると、投薬開始時の用量は平均で12.8mg/kg(2回/日)、投薬終了時の用量は平均で14.7mg/kg (2回/日)でした。また投薬期間は中央値で12週間(7~20週)、12週未満で終えた猫は8頭でした。症状の改善に関してより具体的に記載すると、1週間以内の改善が46.2%、2週間以内の改善が84.6%、3週間以内の改善が92%だったといいます。
 副作用3頭で報告され、吐き気・嘔吐、食欲不振、耳折れ(下の写真参照)、粗雑なひげ、白血球減少、落屑、筋の退縮などでした。 モルヌピラビルの副作用と思われる耳折れを示したFIP猫  この報告を記している時点での生存率は92.3%(24/26頭)。死亡した2頭に関しては投薬治療後の度重なる発作で安楽死となった猫が1頭、モルヌピラビルで再治療を試みるも反応がなかったため安楽死となった猫が1頭でした。
Effective Rescue Treatment Following Failure of Unlicensed GS-441524-like Therapy for Cats with Suspected Feline Infectious Peritonitis
Pathogens 2022, 11(10), 1209, Meagan Roy , Nicole Jacque et al., DOI:10.3390/pathogens11101209

FIP治療の新時代へ

 FIPの新薬候補として期待されているGC-376にしてもGS-441524にしても、成分のパテント(特許)問題が解決していないまま無認可商品が「これは薬ではなくサプリメントです」といった苦しい言い訳とともに法外な値段で販売されているのが現状です。もし承認薬に同等の薬効が認められれば、こうした野放図なブラックマーケットに終止符が打たれるかもしれません。 「Mutian®X」は猫伝染性腹膜炎(FIP)の予防新薬になるか?

法外な値段の違法商品

 「投薬治療に反応しない」以外で、飼い主がモルヌピラビルに切り替えた理由としては「猫が注射を受け付けなかった」「値段が高い」が挙げられました。
 値段について具体的に記載すると、初期治療でGS薬を採用した場合の費用が平均3,449ドル、再治療で採用した場合のそれが3,509ドルだったそうです。
 一方、モルヌピラビルの投薬費用に対する回答があった20名の平均は209ドル、費用に対して何らかの理由で「0」という回答をした飼い主を除外した場合でも平均1,045ドルとなり、GS薬に比べると1/3~1/10というかなりの低価格で治療を受けられることが明らかになりました。

ベストプロトコルは不明

 モルヌピラビルはFIPの抗ウイルス薬として大きな期待が持たれますが、投薬のベストプロトコルはまだよくわかっていません。
 例えばモルヌピラビル(EIDD-2801)やモルヌピラビルの活性型代謝物質(EIDD-1931)の実験データおよびGS-441524のフィールドデータなどから算出した推論上の用量(用法1)、承認を受けないままモルヌピラビル含有商品を販売しているメーカによる用量(用法2)はそれぞれ以下です(※滲出型=ウエット/非滲出型=ドライ)。
FIPタイプ用法1(mg/kg)用法2(mg/kg)
滲出+非滲出型4.5/1日2回25/1日1回
眼球型8/1日2回37.5/1日1回
神経型10/1日2回50/1日1回
 一方、今回の調査から浮かび上がってきた暫定的な投薬プロトコルは以下です。
モルヌピラビルの投薬量(暫定)
  • 初期治療から採用12mg/kg(2回/日)×12週間
  • 再治療から採用12~15mg/kg(2回/日)×12~13週間
  • FIPタイプ別●神経型→15mg/kg(2回/日)×12週間
    ●眼症状→12mg/kg(2回/日)×12週間
    ●滲出型→12mg/kg(2回/日)×12週間
    ●非滲出型→12mg/kg(2回/日)×12週間
 薬の用量や投与間隔に違いがあることがおわかりいただけるでしょう。このようにFIPに対するモルヌピラビルのベストプロトコルは、実験的に投与した飼い主たちによるシチズンサイエンスを通じて模索されている状態です。
🚨注意!
当調査内で多くの飼い主が使用したのはモルヌピラビルを含む2製品(HとA)で、含有率はそれぞれ製品Hが97.3%、製品Aが96.8%でした。粗悪な未承認製品の場合含有率がまちまちですので、飼い主であれ獣医師であれ、有効成分の実際の含有量が不明な状態での安易な投薬は絶対におやめください。

猫に対する毒性は?

 犬を対象としたモルヌピラビルの毒性調査では、17mg/kg(1回/日)という低用量で一部被験体の骨髄に障害が現れたといいます。一方、猫を対象とした今調査では23mg/kg(3回/日) という高用量を投与された猫もいましたが重大な副作用は見られませんでした。
 モルヌピラビルの体内動態に動物種による違いがあるのかどうかはわかりませんが、少なくとも今調査内で命に関わるような重大な副作用はなかったようです。仮に重大な副作用があったとしても、少なくともFIPが引き起こす生き地獄よりはましかもしれません。
獣医療の現場では既存の動物用医薬品ではカバーできない疾患に対し、人体薬が転用されることが多々あります。猫の天敵FIPも、低価格で投薬治療が受けられるようになるといいですね。なお自己判断での投薬は絶対NGですのでご注意ください。猫伝染性腹膜炎・完全ガイド