トリムとは?
トリムは船の上で生まれ、1803年に行われたオーストラリア周回旅行に同行した猫。
1797年、マシュー・フリンダースが船長(右肖像)を務める「リライアンス号」が、アフリカ・喜望峰からオーストラリア・ボタニー湾を目指していました。このとき同乗していたメス猫が出産し、その中の1匹は、下顎と胸、そして足先が白い以外は全身が真っ黒だったといいます。この子猫は、イギリスの小説家ローレンス・スターンが書いた未完の小説「トリストラム・シャンディ」に登場する執事の名から「トリム」と名づけられました。
トリムは非常に頭がよく、甲板の上に仰向けになり、両手足を開いたまま合図があるまでじっとしているという、まるで犬のような芸もできたといいます。また一度は海に落ちたものの、自力で船まで戻り、ロープをよじ登って一命を取り留めたという武勇伝も残っています。 いつしかフリンダース船長のお気に入りになったトリムは、1803年、「インヴェスティゲイター号」によるオーストラリア周回旅行に同行することになりました。しかしこの旅がトリムにとって最後の船旅になってしまいます。
周回の旅を終え帰国途中だった1803年の8月17日、不運にもインド洋にある珊瑚礁に衝突し、船は座礁してしまいます。船長と乗組員、そして猫のトリムは、イギリスから救助に来た縦帆式帆船に乗り込みますが、この船もまたボロボロだったため、フランス領モーリシャス諸島に立ち寄って船の修繕を余儀なくされました。ところが、当時のイギリスとフランスは交戦状態だったため、船員たちはスパイ容疑を掛けられ監獄に入れられてしまいます。このときトリムも一緒でしたが、隙間から這い出ては夜な夜な冒険をしていたようです。 そんなある日、フランスの夫人から「娘のペットにとトリムを引き取りたい」との申し出があったため、フリンダースは同意します。しかし2週間もたたないうちにトリムは迷子になり、懸賞金が掛けられるという騒ぎになります。その後、必死の捜索活動が続けられましたが、結局トリムは見つかりませんでした。「おなかを空かせた奴隷たちに食べられてしまったのだろう」というのが大方の見解です。 トリム失踪事件の後、フリンダースは7年間も収監され、イギリスに帰国できたのは1810年、彼が36歳のときでした。それからわずか4年後の1814年、40歳と言う若さで他界しています。 Trim(cat) Purr'n'Fur
1797年、マシュー・フリンダースが船長(右肖像)を務める「リライアンス号」が、アフリカ・喜望峰からオーストラリア・ボタニー湾を目指していました。このとき同乗していたメス猫が出産し、その中の1匹は、下顎と胸、そして足先が白い以外は全身が真っ黒だったといいます。この子猫は、イギリスの小説家ローレンス・スターンが書いた未完の小説「トリストラム・シャンディ」に登場する執事の名から「トリム」と名づけられました。
トリムは非常に頭がよく、甲板の上に仰向けになり、両手足を開いたまま合図があるまでじっとしているという、まるで犬のような芸もできたといいます。また一度は海に落ちたものの、自力で船まで戻り、ロープをよじ登って一命を取り留めたという武勇伝も残っています。 いつしかフリンダース船長のお気に入りになったトリムは、1803年、「インヴェスティゲイター号」によるオーストラリア周回旅行に同行することになりました。しかしこの旅がトリムにとって最後の船旅になってしまいます。
周回の旅を終え帰国途中だった1803年の8月17日、不運にもインド洋にある珊瑚礁に衝突し、船は座礁してしまいます。船長と乗組員、そして猫のトリムは、イギリスから救助に来た縦帆式帆船に乗り込みますが、この船もまたボロボロだったため、フランス領モーリシャス諸島に立ち寄って船の修繕を余儀なくされました。ところが、当時のイギリスとフランスは交戦状態だったため、船員たちはスパイ容疑を掛けられ監獄に入れられてしまいます。このときトリムも一緒でしたが、隙間から這い出ては夜な夜な冒険をしていたようです。 そんなある日、フランスの夫人から「娘のペットにとトリムを引き取りたい」との申し出があったため、フリンダースは同意します。しかし2週間もたたないうちにトリムは迷子になり、懸賞金が掛けられるという騒ぎになります。その後、必死の捜索活動が続けられましたが、結局トリムは見つかりませんでした。「おなかを空かせた奴隷たちに食べられてしまったのだろう」というのが大方の見解です。 トリム失踪事件の後、フリンダースは7年間も収監され、イギリスに帰国できたのは1810年、彼が36歳のときでした。それからわずか4年後の1814年、40歳と言う若さで他界しています。 Trim(cat) Purr'n'Fur