猫の腎性貧血とは?
腎性貧血とは慢性腎不全によって腎臓の組織が破壊されたことにより、尿細管間質で生成される造血因子「エリスロポエチン」(EPO)の分泌が低下することで赤血球が減った状態のことです。慢性腎不全のIRISステージ3~4の症例でよく発症し、医療的介入の目安はヘマトクリット(PCV)20%未満とされています。
慢性腎不全の末期に発症する再生不良性の腎性貧血の治療に際しては、これまで輸血、「Oxiglobin(ウシ由来のヘモグロビングルタマー200を含む酸素供給液)」、ヒト由来のたんぱく質を用いた人間用ホルモン剤などが実験的に用いられてきました。しかし人間用ホルモン剤に関しては、動物種が異なるため猫の体内で薬剤に対する抗体が形成され、アレルギー反応によって薬効が低下してしまうという難点が指摘されています。長期間の反復投与を断念せざるを得ない症例が多く実用的ではないため、副作用やアレルギー反応を引き起こさない猫に特化した造血製剤の開発が、獣医療の分野で長らく期待されていました。
猫専用の腎性貧血治療薬
2021年3月、科学技術振興機構(JST)は研究成果最適展開支援プログラム(A-STEP)の一環として株式会社カネカに委託していた「遺伝子組換え鶏技術により生産する貧血治療薬」の開発結果を成功と認定しました。平たく言うと、猫に特化した腎性貧血治療薬ができたということです。
科学技術振興機構報 第1493号
製造工程
人間向けの造血製剤で報告されていたいくつかの欠点を回避するために採用された方法は以下です。元名古屋大学飯島信司教授らの遺伝子組み換えニワトリ作製技術ベースとし、ネコEPOをニワトリの全身ではなく卵白を作る輸卵管だけに特異的に発現させることにより、遺伝子組み換えニワトリの作製効率が約5倍に向上したといいます。
猫のエリスロポエチンに含まれるアミノ酸配列を持つネコエリスロポエチン(ネコEPO)の生成に関わる遺伝子を特定
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ネコEPO発現遺伝子をウイルスベクターに組み込み、ニワトリ有精卵の胚内へ微細針を用いてマイクロインジェクションにより注入 ↓
卵白成分中にネコEPOが生産される
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卵白から精製したネコEPOをポリエチレングリコール(PEG)で修飾
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「PEG化ネコEPO」の完成 猫由来のエリスロポエチンを用いたこと、およびエリスロポエチンタンパクの表面を無毒かつ非免疫原性の高分子である「ポリエチレングリコール」(PEG)で修飾したことにより、アレルギー反応およびそれに付随する赤芽球癆(血液成分のうち赤血球の生成だけが特異的に阻害された状態)を引き起こす危険性が大幅に低減されたといいます。
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ネコEPO発現遺伝子をウイルスベクターに組み込み、ニワトリ有精卵の胚内へ微細針を用いてマイクロインジェクションにより注入 ↓
卵白成分中にネコEPOが生産される
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卵白から精製したネコEPOをポリエチレングリコール(PEG)で修飾
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「PEG化ネコEPO」の完成 猫由来のエリスロポエチンを用いたこと、およびエリスロポエチンタンパクの表面を無毒かつ非免疫原性の高分子である「ポリエチレングリコール」(PEG)で修飾したことにより、アレルギー反応およびそれに付随する赤芽球癆(血液成分のうち赤血球の生成だけが特異的に阻害された状態)を引き起こす危険性が大幅に低減されたといいます。
実際の効果
猫のタンパクを元にして製造した腎性貧血薬には本当に効果があるのでしょうか?この疑問に答えるため、PEG化ネコEPO製剤を用いた60例の治験が行われました。
その結果、被験薬の投与を開始して8週目と12週目の両時点において、血中の赤血球の割合(ヘマトクリット値)が基準値(正常値)以上に達した症例が22例(達成率36.7%)だったといいます。また血中の赤血球が有意に増加したことも併せて確認されました。
その結果、被験薬の投与を開始して8週目と12週目の両時点において、血中の赤血球の割合(ヘマトクリット値)が基準値(正常値)以上に達した症例が22例(達成率36.7%)だったといいます。また血中の赤血球が有意に増加したことも併せて確認されました。
赤血球生成刺激剤(ESA製剤)
国際猫医学協会(ISFM)のガイドラインでは、慢性腎不全に伴いヘマトクリット(PCV)が20%を切ったタイミングで赤血球生成刺激剤(ESA製剤)を用いた治療を開始するのが妥当としています。
半減期が長く投与回数が少なくて済むこと、および赤血球癆につながりにくいことなどから、可能な場合はエポエチンよりダルベポエチンが望ましいとのこと。付随セラピーとして用いる鉄サプリに関しては、筋内投与なら鉄-デキストラン50mg、経口投与なら硫酸第一鉄を猫1頭当たり1日50~100mgの割合で投与し、PCVが目標範囲に入るまで血圧、網状赤血球数、血圧を毎週モニタリングするのが望ましいと推奨しています。
今回発表された猫向けエリスロポエチン製剤によるヘマトクリット改善率は36.7%(22/60頭)でしたが、この数値は猫を対象として行われた過去のESA治療と比べても、決して良いとは言えません。
半減期が長く投与回数が少なくて済むこと、および赤血球癆につながりにくいことなどから、可能な場合はエポエチンよりダルベポエチンが望ましいとのこと。付随セラピーとして用いる鉄サプリに関しては、筋内投与なら鉄-デキストラン50mg、経口投与なら硫酸第一鉄を猫1頭当たり1日50~100mgの割合で投与し、PCVが目標範囲に入るまで血圧、網状赤血球数、血圧を毎週モニタリングするのが望ましいと推奨しています。
今回発表された猫向けエリスロポエチン製剤によるヘマトクリット改善率は36.7%(22/60頭)でしたが、この数値は猫を対象として行われた過去のESA治療と比べても、決して良いとは言えません。
人間用の人工エリスロポエチン
人間のエリスロポエチン生成に関わる遺伝子は1983年に発見され、1985年からは人工合成されたエリスロポエチン製剤の生産が始まりました。
人間向けの製剤としてはエポエチンアルファ、エポエチンベータ、ダルベポエチンアルファ、持続性エリスロポエチン受容体活性化剤などがすでに販売されています。一部の人間用製剤を猫にも転用できる理由は、猫のエリスロポエチン分子が人間のそれと83.3%の相同性を有しており、ホルモン受容体と結合することができるからです。
人間向けの製剤としてはエポエチンアルファ、エポエチンベータ、ダルベポエチンアルファ、持続性エリスロポエチン受容体活性化剤などがすでに販売されています。一部の人間用製剤を猫にも転用できる理由は、猫のエリスロポエチン分子が人間のそれと83.3%の相同性を有しており、ホルモン受容体と結合することができるからです。
エポエチン
エポエチンを使用する場合は体重1kg当たり100IUを週3回皮下注射するのが基本プロトコルです。治療目標はPCV25%以上で、正確な統計データはないものの一般的には3~4週で5割以上の患猫が反応します。PCVが目標範囲に入ったら、鉄サプリを給与すると同時に50~100IU/kgを週2回というプロトコルに切り替えます。
ダルベポエチン
ダルベポエチンは1990年代初頭、5つのN-結合型糖鎖でエポエチンをグリコシル化することで半減期を伸ばした製剤です。猫においては体内半減期が7.2時間が25.0時間に伸び、
平均除去率が8.4mL/kg/時から2.4mL/kg/時に低下したとの報告があります。また体重1kg当たり0.45μgのときの治療反応率が12%であるのに対し、1.0μgのときのそれが62%であることから、週に1回のペースで体重1kg当たり1.0μgを皮下注射するプロトコルが推奨されています。治療目標はPCV25~35%で、一般的に2~3週で反応します。
猫用の人工エリスロポエチン
猫用の人工エリスロポエチンに関しては、実は2000年代初頭の段階ですでに予備的な臨床試験が行われています。
アメリカにあるコーネル大学の調査チームは慢性腎臓病を自然発症した26頭のペット猫を対象とし、猫に特化して人工合成したエリスロポエチン製剤がどのような効果や副作用を引き起こすかを検証しました(:Randolph, 2004)。
治験に参加した猫たちはすべて慢性腎臓病に起因する再生不良性貧血(ヘマトクリット22%以下+網状赤血球の絶対数4万個/μL未満)を発症しており、19頭(オス12+メス7)はホルモン製剤による治療を受けていない「グループ1」、残りの7頭(オス4+メス3)は人間向けのエリスロポエチン製剤による治療歴があり、その後に赤血球癆を発症した「グループ2」とされました。
チャイニーズハムスターの卵巣細胞を用いて猫エリスロポエチンを人工合成し、グループ1には体重1kg当たり100単位を週に3回皮下注射、グループ2には体重1kg当たり400単位を週に3回皮下注射し、前者は12ヶ月、後者は6ヶ月に渡って反応をモニタリングしました。
その結果、どちらのグループでも治療開始から最初の3週間におけるヘマトクリット中央値および網状赤血球絶対数が統計的に有意なレベルで増加し、前者に関しては正常範囲内(30~40%)に収まったといいます。 しかしグループ1のうち5頭およびグループ2のうち3頭に関しては、最初のうちは治療に反応したものの再び貧血状態に陥り、ホルモン製剤の投与量を増やしても改善しなくなったといいます。骨髄検査の結果、これら8頭中5頭は難治性の赤血球癆と判断されました。
グループ2に属する7頭中5頭では治験初期に反応が見られたため、少なくとも人間向けのEPOとネコ向けのEPOは免疫システムによって別物として認識されていると考えられます。一方、反応後に再び貧血が発症した理由としては、人工合成されたネコEPOが時間経過とともに異物として認識されるようになり、抗体が形成されてアレルギー反応につながったからだと推測されています。
詳細なメカニズムは不明ですが、エリスロポエチンの合成に関わっている遺伝子の塩基配列に個体差(SNPs)が有り、ホルモンに含まれるアミノ酸構成が微妙に変わることで表面タンパクがアレルゲンとして認識されるのではないかと考えられています。人間においてもホルモン治療を受けた患者の体内で抗エリスロポエチン抗体が形成される現象が確認されており、原因は分かっていません。
グループ1で確認された26%という赤血球癆の発症率は、人間向け製剤を投与した時とさほど変わらないため、製剤から抗原性を排除してアレルギー反応を防ぐことが重要な課題だと指摘しています。
アメリカにあるコーネル大学の調査チームは慢性腎臓病を自然発症した26頭のペット猫を対象とし、猫に特化して人工合成したエリスロポエチン製剤がどのような効果や副作用を引き起こすかを検証しました(:Randolph, 2004)。
治験に参加した猫たちはすべて慢性腎臓病に起因する再生不良性貧血(ヘマトクリット22%以下+網状赤血球の絶対数4万個/μL未満)を発症しており、19頭(オス12+メス7)はホルモン製剤による治療を受けていない「グループ1」、残りの7頭(オス4+メス3)は人間向けのエリスロポエチン製剤による治療歴があり、その後に赤血球癆を発症した「グループ2」とされました。
チャイニーズハムスターの卵巣細胞を用いて猫エリスロポエチンを人工合成し、グループ1には体重1kg当たり100単位を週に3回皮下注射、グループ2には体重1kg当たり400単位を週に3回皮下注射し、前者は12ヶ月、後者は6ヶ月に渡って反応をモニタリングしました。
その結果、どちらのグループでも治療開始から最初の3週間におけるヘマトクリット中央値および網状赤血球絶対数が統計的に有意なレベルで増加し、前者に関しては正常範囲内(30~40%)に収まったといいます。 しかしグループ1のうち5頭およびグループ2のうち3頭に関しては、最初のうちは治療に反応したものの再び貧血状態に陥り、ホルモン製剤の投与量を増やしても改善しなくなったといいます。骨髄検査の結果、これら8頭中5頭は難治性の赤血球癆と判断されました。
グループ2に属する7頭中5頭では治験初期に反応が見られたため、少なくとも人間向けのEPOとネコ向けのEPOは免疫システムによって別物として認識されていると考えられます。一方、反応後に再び貧血が発症した理由としては、人工合成されたネコEPOが時間経過とともに異物として認識されるようになり、抗体が形成されてアレルギー反応につながったからだと推測されています。
詳細なメカニズムは不明ですが、エリスロポエチンの合成に関わっている遺伝子の塩基配列に個体差(SNPs)が有り、ホルモンに含まれるアミノ酸構成が微妙に変わることで表面タンパクがアレルゲンとして認識されるのではないかと考えられています。人間においてもホルモン治療を受けた患者の体内で抗エリスロポエチン抗体が形成される現象が確認されており、原因は分かっていません。
グループ1で確認された26%という赤血球癆の発症率は、人間向け製剤を投与した時とさほど変わらないため、製剤から抗原性を排除してアレルギー反応を防ぐことが重要な課題だと指摘しています。
決して「奇跡の新薬」ではない
治験内容のより詳しい内容を科学技術振興機構及びカネカに直接請求しましたが、情報は提供してくれませんでした。治験に参加した猫たちの発症様式(自然か人為か)、CKDステージ、年齢、治験中の食事内容、副作用率、副作用の内容など重要なデータがほとんど欠落しており、何をもって事業自体が「成功」とみなされたのかもよくわからない状態です。
猫がESA治療に反応しない場合、以下のようなさまざまな可能性が考えられます。
カネカは今後、開発した技術をライセンス契約を通じて国内動物用医薬品企業に期間限定で貸し出し、製品の製造・販売自体は契約企業が行う予定になっています。月に2回程度の投薬回数で目標PCVに到達できるとされていますが、1回の投薬にかかる費用や正確な治療反応率に関してはまだわかっていません。慢性腎不全で弱った猫に通院ストレスや注射ストレスをかけ、その結果「効果が見られなかった」という残念な事例も当然ありうるでしょう。
猫用エリスロポエチン製剤は従来の製品に比べて飼い主の経済的な負担を軽減し、猫の生活の質(QOL)を高める可能性があるとしています。しかしESA製剤による医療的な介入自体が猫に多大なストレスを掛けてQOLを低下させる危険性もありますので、治療を行うに際しては事前の慎重な検討が必要となります。
猫がESA治療に反応しない場合、以下のようなさまざまな可能性が考えられます。
ESA治療失敗の原因
- 炎症性疾患
- 感染症
- 悪性腫瘍
- ACE阻害剤
- 赤血球の寿命短縮
- 血漿中の造血阻害物質
- 消化管からの慢性的な出血
- 食欲不振に伴う鉄分の摂取不足
- 葉酸やビタミンB12不足
- 骨髄の線維化
カネカは今後、開発した技術をライセンス契約を通じて国内動物用医薬品企業に期間限定で貸し出し、製品の製造・販売自体は契約企業が行う予定になっています。月に2回程度の投薬回数で目標PCVに到達できるとされていますが、1回の投薬にかかる費用や正確な治療反応率に関してはまだわかっていません。慢性腎不全で弱った猫に通院ストレスや注射ストレスをかけ、その結果「効果が見られなかった」という残念な事例も当然ありうるでしょう。
猫用エリスロポエチン製剤は従来の製品に比べて飼い主の経済的な負担を軽減し、猫の生活の質(QOL)を高める可能性があるとしています。しかしESA製剤による医療的な介入自体が猫に多大なストレスを掛けてQOLを低下させる危険性もありますので、治療を行うに際しては事前の慎重な検討が必要となります。
貧血によって腎臓への酸素供給が滞ると慢性腎臓病がさらに進行するとされています。治療の選択肢が増えること自体は朗報ですが、必ずしも猫のQOL向上や寿命延長につながるわけではありません。