猫の原始的な「情動回路」
著名な脳神経学者であるヤーク・パンクセップ(Jaak Panksepp)博士は、脳の中にあらかじめプログラミングされている「情動回路」(emotional circuits)という概念を提唱しました。これは個体の生命を維持したり種を効率的に存続させるために発達した原始的な回路のことで、
探索、恐怖、怒り、肉欲、養育、動転、遊びの7つから成り立っています。情動回路は大脳辺縁系と呼ばれる、動物たちが系統分岐を始める前の段階から有している部位に存在しているため、人間を含む哺乳類全般が共有していると考えられています。
アイルランドにあるダブリン大学の調査チームは、猫が見せる表情や行動から心的な状態を推測するための、初心者向けの猫のエソグラム(動物学的行動目録)を作るため、上記「情動回路」を猫向けにアレンジしてベースにしようと考えました。その結果、以下に述べる5つにまとめるのが妥当という結論に至ったといいます。
アイルランドにあるダブリン大学の調査チームは、猫が見せる表情や行動から心的な状態を推測するための、初心者向けの猫のエソグラム(動物学的行動目録)を作るため、上記「情動回路」を猫向けにアレンジしてベースにしようと考えました。その結果、以下に述べる5つにまとめるのが妥当という結論に至ったといいます。
猫の情動回路
- 恐怖目前にある危険や脅威を認識して喚起されるネガティブな心境/警戒心が高まり引きこもったり逃走を図ろうとする
- 怒り目標に到達しようとする試みが実現しない時に喚起されるネガティブな心境/攻撃行動や威嚇行動として発現する
- 遊び内在的な駆動因によって突き動かされるポジティブな心境/移動を伴う「移動遊戯」、他の個体を巻き込む「社会的遊戯」、非生物を対象とした「非社会的遊戯」など、明確な機能的意味を持たない行動として発現する
- 満足必要な要求が満たされて現状を受け入れている時に喚起されるポジティブな心境/休息、落ち着き、親和的行動として発現する
- 興味新規な刺激や関わり合いへの期待によって喚起されるポジティブな心境/刺激に意識を向けたり探索行動として発現する
猫の情動回路とエソグラム
次に調査チームは、過去の研究で報告されている猫たちの行動を文脈などから判断し、5つの「情動回路」のどれに当てはまるかを1つずつ検証していきました。その結果、個別の部位や全身による動作と以下のような対応関係にあることがわかったといいます。「ハンドラーのリスク」とはその状態にある猫と接する人間が何らかの怪我を負う危険性のことで、「福祉への懸念」とは猫の心的状態がストレス下に置かれていることです。
恐怖(Fear)
- 目大きく見開かれ瞳孔は散大する/瞬きもしくはゆっくりとした瞬き/まぶたを固く閉じる/アイコンタクトを避ける/軽度の恐怖心を抱いている時は顔が左を向く
- 耳横もしくは後ろに倒れる/耳介が見えなくなる
- しっぽ・尾体の下に隠す/体の周囲に巻きつける
- 体立毛反射/力んだかがみ姿勢/頭を低く下げる/背中を弓なりにして立つ/軽度の恐怖心を抱いている時は顔が左を向く
- 行動警戒/驚愕/振戦/フリーズ(硬直)/隠れる/逃走・回避/グルーミング(転位行動)/生命維持行動(食べる・飲む・排泄する)の中断/眠らない
- ハンドラーのリスク中
- 福祉への懸念高
怒り(Anger/Rage)
- 目瞳孔は縦長~散大/相手を凝視
- 耳横に回旋/耳介の内側が見える状態
- しっぽ・尾固く垂れ下がる/逆L字に挙上/地面をペチペチ叩く/左右もしくは上下に素早く動く(テイルラッシュ)
- 体背骨やしっぽの立毛反射/前傾姿勢/臀部挙上/背中を弓なりにして立つ
- 行動犬歯をむき出しにする/飛びかかる/追いかける/猫パンチ/噛み付く/押しのける
- ハンドラーのリスク高
- 福祉への懸念高
喜び・遊び(Joy/Play)
- 目瞳孔散大/眼裂は覚醒もしくはリラックスで見開かれる
- 耳直立して耳介が前方を向く
- しっぽ・尾垂直/逆Uの字に挙上
- 体子猫においては口を半開きにする(プレイフェイス)/背中を弓なりにする
- 行動高い場所に上る/走り回る/他の猫に近づいて飛びかかる・手を出す・掴んで組み伏せる・甘噛をする・お腹を見せて取っ組み合いをする・ケリケリ・サイドステップ・逃げる/対象物を嗅ぐ・なめる・かじる・前足でちょんちょんする・投げる・組み伏せる・飛びかかる
- ハンドラーのリスク中
- 福祉への懸念中
満足(Contentment)
- 目瞳孔が縮小して半分以下まで細まる
- 耳直立して耳介が前を向く
- しっぽ・尾脱力して動かない~ややカールした状態で挙上する
- 体座位/丸くなって横になる
- 行動ストレッチ/あくび/グルーミング(セルフ・アロ)/ニーディング(生地コネ動作)/ノーズタッチ/匂い嗅ぎによるあいさつ/ヘッドハンティング(軽い頭突き)/顔や体を対象物にこすりつける/ヘソ天/横になってクネクネ
- ハンドラーのリスク低
- 福祉への懸念低
興味(Interest)
- 目瞳孔散大/右側を見る/対象を凝視
- 耳直立して耳介が対象の方に向く/耳先がピョコピョコ動く
- しっぽ・尾水平/あいさつ時は挙上
- 体後ろ足で立ち上がる/前足を対象物に置く/頭を突き出す/頭が右を向く
- 行動エリアや対象物を探索する/匂いをかぐ/なめる/前足でチョンチョン触る/他の猫と鼻挨拶したり顔や体を擦り付ける/狩猟行動(待ち伏せ・追跡・飛びかかり・掴みかかり・噛みつき)
- ハンドラーのリスク中
- 福祉への懸念中
Nicholson, S.L., O’Carroll, R.A. Ir Vet J 74, 8 (2021), DOI:10.1186/s13620-021-00189-z
猫の気持ちを誤解しない
調査チームがエソグラムを作ったそもそもの目的は、獣医療の現場において獣医師もしくは動物看護師が怪我をするリスクを低減することでした。医療関係者が病院内において猫に怪我を負わされる機会は結構多く、二次感染から欠勤が続くと体や精神だけでなく病院の経営にまで悪影響が及んでしまいます。
動物看護師としての経験年数が5年未満で25歳未満の方がベテランの看護師よりも怪我を負いやすいとか、獣医師になって5年未満の方が咬傷を負いやすいといった報告があることから、知識や経験が足りず猫の気持ちを誤解することが受傷原因になっている可能性を否定できないでしょう。
今回の調査で明らかになったエソグラムは非常に基本的なもので、それほど真新しい部分はありません。しかし警戒心を抱いて瞳孔を開いている猫を見て「黒目がちでかわいい」と言う人がいたり、ゆっくりまばたきする様子を見て「愛情の証」と勘違いしている人がいる事実から考えると、ありふれた知識とはいえ無駄と片付けるわけにはいきませんね。
動物看護師としての経験年数が5年未満で25歳未満の方がベテランの看護師よりも怪我を負いやすいとか、獣医師になって5年未満の方が咬傷を負いやすいといった報告があることから、知識や経験が足りず猫の気持ちを誤解することが受傷原因になっている可能性を否定できないでしょう。
今回の調査で明らかになったエソグラムは非常に基本的なもので、それほど真新しい部分はありません。しかし警戒心を抱いて瞳孔を開いている猫を見て「黒目がちでかわいい」と言う人がいたり、ゆっくりまばたきする様子を見て「愛情の証」と勘違いしている人がいる事実から考えると、ありふれた知識とはいえ無駄と片付けるわけにはいきませんね。
家庭内においては「遊び」「満足」「興味」など、なるべくポジティブなエソグラムが発現するよう心がける必要があります。