ジャンケント遺跡の猫
調査を行ったのはドイツにあるマルティン・ルター大学ハレ・ヴィッテンベルクを中心としたチーム。カザフスタンのアラル海に近い場所にあるジャンケントと呼ばれる都市遺跡において、城塞と城壁の間に建てられた廃屋の中からネコ科動物の骨が発掘されました。放射性炭素年代測定の結果、1950年を起点としてそれより1,171(± 15)年前のもので、西暦で表すと95%の確率で775~940年のものであると判定されました。
イエネコである証拠は?
ネコ科動物のものらしい骨が発見されたからといって、それが即座にイエネコのものとは断定できません。ヤマネコのものである可能性も残されています。
そこで調査チームは遺骨の側頭骨錐体部に含まれた核DNAを採取し、イエネコ(Felis catus)のレファランスゲノムと比較しました。その結果、30bpを超えるリード(※DNAの断片に含まれる塩基配列の単位)に限定したときの一致率は79%で、性別はオスであることが判明したといいます。
遺骨がヨーロッパヤマネコの骨格よりも小さいことなどと合わせて総合的に判断し、調査チームは発掘された骨がヤマネコのものではなくイエネコのものである可能性が高いとの結論に至りました。
そこで調査チームは遺骨の側頭骨錐体部に含まれた核DNAを採取し、イエネコ(Felis catus)のレファランスゲノムと比較しました。その結果、30bpを超えるリード(※DNAの断片に含まれる塩基配列の単位)に限定したときの一致率は79%で、性別はオスであることが判明したといいます。
遺骨がヨーロッパヤマネコの骨格よりも小さいことなどと合わせて総合的に判断し、調査チームは発掘された骨がヤマネコのものではなくイエネコのものである可能性が高いとの結論に至りました。
ペット猫である証拠は?
遺骨がイエネコであるとしても、それが人間に飼われていたペットだったとは断定できません。集落に群がるネズミなどのげっ歯類を狙った野生の猫という可能性も残されています。
小動物の骨には、ちょうど高いところから落下した時にできるような複数の怪我があったため、調査チームは右大腿骨遠位の骨幹端骨折に着目しました。精密分析の結果、骨折部位には治癒過程を示す仮骨が形成されおり、骨化の方向に不自然な歪みが見られなかったことから、何らかの形で拘束を受けていた可能性が高いと判断されました。ちょうど現代でいう「ケージレスト」(絶対安静)のような感じです。 さらに安定同位体分析という手法で猫が食べていた食事内容を推定したところ、窒素が多く含まれていたことから魚介類が主食だったのではないかと推定されました。満身創痍の猫が魚のいる場所まで移動することはできませんし、まして自ら水に入って魚を捕獲することなどできませんので、おそらく人間が猫に魚を与えていたものと考えられます。それを証明するかのように、猫の歯の表面には無傷の歯石(=柔らかいものを食べていたということ)も確認されました。
こうしたデータから総合的に考え調査チームは、この遺骨が人間によって飼われていたペット猫であり、死の間際まで魚などの高タンパク食を与えられて看病を受けていたと推定するに至りました。 The earliest domestic cat on the Silk Road.
Haruda, A., Ventresca Miller, A.R., Paijmans, J.L.A. et al. Sci Rep 10, 11241 (2020), DOI:10.1038/s41598-020-67798-6
小動物の骨には、ちょうど高いところから落下した時にできるような複数の怪我があったため、調査チームは右大腿骨遠位の骨幹端骨折に着目しました。精密分析の結果、骨折部位には治癒過程を示す仮骨が形成されおり、骨化の方向に不自然な歪みが見られなかったことから、何らかの形で拘束を受けていた可能性が高いと判断されました。ちょうど現代でいう「ケージレスト」(絶対安静)のような感じです。 さらに安定同位体分析という手法で猫が食べていた食事内容を推定したところ、窒素が多く含まれていたことから魚介類が主食だったのではないかと推定されました。満身創痍の猫が魚のいる場所まで移動することはできませんし、まして自ら水に入って魚を捕獲することなどできませんので、おそらく人間が猫に魚を与えていたものと考えられます。それを証明するかのように、猫の歯の表面には無傷の歯石(=柔らかいものを食べていたということ)も確認されました。
こうしたデータから総合的に考え調査チームは、この遺骨が人間によって飼われていたペット猫であり、死の間際まで魚などの高タンパク食を与えられて看病を受けていたと推定するに至りました。 The earliest domestic cat on the Silk Road.
Haruda, A., Ventresca Miller, A.R., Paijmans, J.L.A. et al. Sci Rep 10, 11241 (2020), DOI:10.1038/s41598-020-67798-6
シルクロードと猫の関係
カザフスタンの近隣にはトルクメニスタンがあり、北東部のクフナ・ウルゲンチを始めとした都市部でもネコ科動物の遺骨が多く発見されていますが、年代は紀元1500年頃のものです。今回発掘された小動物の骨が本当にイエネコの物だとすると、8~10世紀ころのカザフスタンにはすでに猫がいたことになります。この考えは時代考証的に合っているのでしょうか?
猫について言及された最初期の書物は6世紀頃にペルシアで書かれたもので、女性達はペットとして猫を飼い、被毛を染め、宝石を飾り付け、一緒に眠るほどかわいがっていたと記述されています。また8世紀頃のホラーサーン(現在のイラン北東部)、ホラズム(現在のウズベキスタン北西部)では、イスラム人の到来とともに猫を擬人化しペットとして飼育することが慣習化していたと考えられています。 7世紀頃に建設された都市ジャンケントは、一般的にシルクロードと呼ばれる長距離通商路からは少し外れた場所に位置しています。しかし北に位置するロシアと南に位置するペルシャやホラズムとのちょうど中間地点にありますので、中継都市として経済的にリンクしていたと推定されます。こうした地理的な状況から考えると、物品の輸送とともにイエネコの授受が都市間で行われていたのかもしれません。だとすると、8~10世紀の段階ですでに猫が人間の生活圏に入ってきていたと考えることは、それほど突飛ではないでしょう。
猫について言及された最初期の書物は6世紀頃にペルシアで書かれたもので、女性達はペットとして猫を飼い、被毛を染め、宝石を飾り付け、一緒に眠るほどかわいがっていたと記述されています。また8世紀頃のホラーサーン(現在のイラン北東部)、ホラズム(現在のウズベキスタン北西部)では、イスラム人の到来とともに猫を擬人化しペットとして飼育することが慣習化していたと考えられています。 7世紀頃に建設された都市ジャンケントは、一般的にシルクロードと呼ばれる長距離通商路からは少し外れた場所に位置しています。しかし北に位置するロシアと南に位置するペルシャやホラズムとのちょうど中間地点にありますので、中継都市として経済的にリンクしていたと推定されます。こうした地理的な状況から考えると、物品の輸送とともにイエネコの授受が都市間で行われていたのかもしれません。だとすると、8~10世紀の段階ですでに猫が人間の生活圏に入ってきていたと考えることは、それほど突飛ではないでしょう。