トップ2019年・猫ニュース一覧7月の猫ニュース7月13日

トキソプラズマが猫の腸管内でしか有性生殖できない理由が解明される

 ほとんど全ての温血動物に感染することで知られるトキソプラズマ。長らく謎とされてきた、猫の腸管上皮細胞でしか有性生殖できないメカニズムがこのたび解明されました。今後は「研究のために必要」を言い訳として猫たちを実験動物にすることはできなくなるでしょう。

トキソプラズマの生殖サイクル

 真核微生物の一種「トキソプラズマ」(Toxoplasma gondii)には、無性生殖するフェーズと有性生殖するフェーズがあります。無性生殖はほとんど全ての温血動物の体内で可能なため、鳥類や哺乳類などありとあらゆる動物が中間宿主になりえます。それに対し有性生殖は猫の腸管上皮細胞の中でしか行われません。トキソプラズマが猫を終宿主にするのはそのためです。猫の腸管内で増殖したトキソプラズマはオーシストという形態になって糞便中に排出され、他の中間宿主に取り込まれるのを環境中で待ちます。 トキソプラズマ症 トキソプラズマのライフサイクル~オーシストとスポロシスト  有性生殖フェーズの種特異性は古くから知られていましたが、なぜ猫の体内でしか有性生殖ができないのかというメカニズムに関してはよく分かっていませんでした。今回の報告を行ったウィスコンシン大学を中心とした調査チームが解明したのは、この長らく謎だったメカニズムです。蓋を開けてみると、拍子抜けするほどシンプルなものでした。
Intestinal delta-6-desaturase activity determines host range for Toxoplasma sexual reproduction
Bruno Martorelli Di Genova, Sarah K. Wilson, J.P. Dubey, Laura J. Knoll, doi: http://dx.doi.org/10.1101/688580. bioRxiv 2019

有性生殖に必要なのはリノール酸

 結論から言うとトキソプラズマの有性生殖に必要なのは豊富なリノール酸です。二重結合を2つ有しているというリノール酸の分子構造的な特徴が、原虫が増殖する際のシグナリングに利用されていると考えられています。 リノール酸の分子構造と二重結合の位置  動物の腸管内には食事から摂取したリノール酸が存在していますが、腸管に含まれる「デルタ-6デサチュラーゼ」と呼ばれる酵素の働きによりアラキドン酸に転換されます。
デルタ-6デサチュラーゼ
デルタ-6デサチュラーゼ(D6D)は脂質転換酵素の一種。猫を除くすべての哺乳動物が保有しており、腸管内でリノール酸からアラキドン酸を生成する際に用いられます。代表的な転換経路は「リノール酸+デルタ-6デサチュラーゼ→γ-リノレン酸→ジホモ-γ-リノレン酸+デルタ5デサチュラーゼ→アラキドン酸」などです。
 酵素が作用した結果、腸管内におけるリノール酸が消費され濃度が低下します。トキソプラズマの有性生殖にはリノール酸が必要ですので、D6Dの酵素活性が高い哺乳動物の体内ではリノール酸不足となり、うまく増殖ができません。トキソプラズマが猫の腸管上皮細胞内でだけ有性生殖できる理由は、猫におけるD6Dの酵素活性が極めて低く、十分な量のリノール酸があるからです。酵素活性が正常な動物の血清におけるリノール酸濃度が脂肪酸中3~10%なのに対し、酵素活性が極めて低い猫の血清濃度は25~46%とされています。

マウスの体内でも増殖できる

 調査チームは猫以外の哺乳動物の体内でトキソプラズマの有性生殖を誘発できるかどうかを確認するため、マウスを用いた実験を行いました。実験デザインとその結果は以下です。豊富なリノール酸では「200μM」、少量のリノール酸では「20μM」が給餌されました。
トキソプラズマの有性生殖実験
  • 豊富なリノール酸→❌失敗
  • D6Dの酵素活性を抑制→❌失敗
  • 少量のリノール酸+酵素活性抑制→❌失敗
  • 豊富なリノール酸+酵素活性抑制→⭕成功
 豊富なリノール酸と共に、D6Dの酵素活性を低下させるSC2696という化学阻害剤を給餌されたマウスにおいては、糞中に排出されるオーシストの数量が乾燥重量1g中10万~15万に達し、猫における2千~150万と遜色ない腸内環境が再現されました。

猫を用いた動物実験の削減へ

 アメリカ合衆国農務省(USDA)で長らく行われてきた猫を用いたトキソプラズマの研究は、猫たちを最終的に致死処分することが明るみに出たことで激しい非難に遭い、2019年度からの打ち切りが決定しました。  これまでトキソプラズマの研究動物としてもっぱら猫が用いられてきた理由は、先述したように猫の腸管内でしかトキソプラズマの有性生殖が行われなかったからです。今回の調査により猫以外の哺乳動物の体内でもトキソプラズマの有性生殖を誘発できることが明らかになりましたので、今まで使われてきた「研究のために必要」という正当化は通用しなくなるでしょう。猫を対象とした動物実験における「3R」(Replace, Reduce, Refine)を見直すべき時が来ています。 トキソプラズマ症