詳細
「トキソプラズマ」(T.gondii)は脊椎動物全般に感染し、ネコ科動物を終宿主とする原虫の一種。人間における感染率は韓国の3%からコスタリカの76%まで大きな幅がありますが、免疫系が正常な人においてはほとんど症状を示さないことから、これまであまり問題とされる事はありませんでした。しかし近年、「トキソプラズマに感染すると人格まで変わる」といった類の研究報告が次々と出されたことにより、その重大性が見直されつつあります。研究報告の一例としては、「女性の攻撃性や男性の衝動性を増加させる」(→出典)、「自殺傾向を高める」(→出典)、「囚人のトキソプラズマ感染率が高い」(→出典)、「交通事故につながりやすい」(→出典)、「認識能力や人格を変化させる」(→出典)などがあります。また38の研究を対象としたメタ分析では、トキソプラズマ感染症が統合失調症にかかる確率を2.7倍に高めるとの報告がなされ、世界中の人々に衝撃を与えました(→出典)。
今回調査を行ったのは、アメリカ・デューク大学を中心とした共同研究チーム。目的は、上で列挙したような様々な変化が本当にトキソプラズマ原虫によってもたらされているのかどうかを確かめることです。チームは1972年4月~73年3月の間にニュージーランドのダニーデンで生まれた837人(男性423人+女性414人)を対象とし、トキソプラズマの血清テストと能力・人格テストの両方を行い、両者の関連性を統計的に精査しました。基本データは以下です。
トキソプラズマ感染
- 調査対象=837人(全員38歳)
- トキソプラズマ陽性=236人(28.2%)
- 男性の陽性率=32.6%
- 女性の陽性率=23.7%
各種テスト
- 専門家による面談→精神疾患
- WAIS-IV test→知能
- Big Five Personality Test→人格
- Rey Auditory Verbal Learning test→認知能力
解説
マウスを用いた調査では、トキソプラズマに感染すると猫のおしっこの匂いに対する恐怖心が薄らぎ、自発的に猫に近づいていくようになるといいます(→出典)。「危険な情事」(Fatal Attraction)とも呼ばれるこの現象は、トキソプラズマが脳内に移動し、神経伝達物質「ドーパミン」のシグナリングを変化させることで引き起こされると考えられています。また2016年2月の始め、チンパンジーを対象とした観察により、トキソプラズマに感染したものはヒョウのおしっこの匂いをより積極的に調べようとする傾向があることが確認されました(→出典)。マウスとチンパンジーは一見すると、同じメカニズムを通じて「危険な情事」に走っているように見えますが、実際はそう単純ではありません。マウスではネコ科動物全般の尿臭に惹きつけられるのに対し、チンパンジーではなぜかヒョウの尿臭にしか興味を惹かれないそうです。今回行われた調査でも、トキソプラズマ感染と「自殺傾向」や「衝動性の不制御」との間には明確な関連性は見い出されませんでした。トキソプラズマがヒトやチンパンジーといった霊長類の体内でどのような振る舞いをするかに関しては、いまだによくわかっていないというのが現状です。ですから「トキソプラズマに感染すると人格まで変わる」という表現は、今のところ都市伝説の域を出ていないと考えられます。